英語を使ってコミュニケーションを取ろうとする心意気があればそれはそれでいいじゃないか。

耳だけに頼るから、大切なメッセージが受け取れない

そんな経験をしているだけに、やはり言葉だけに頼るコミュニケーションに違和感を覚えてしまうわけで。コミュニケーション、コミュニケーションとやたらと最近聞くけれど、伝える力よりも、実は伝え手を察する気持ち、相手のメッセージを受け取ろうとする力が、今の日本人には欠けているのかもしれない、と思ったりする。
 その人が何を伝えているかより、どんな言葉をどんなアクセントで発しているかと、耳からの情報だけに意識がいく。コミュニケーションには、五感が必要なのに、耳だけに頼るから、大切なメッセージを受け取れずにいるのではないだろうか。
 元NHKアナウンサーの山川静夫さんも、話に必要なのはテクニックではない、と語っていた。
 「私もね、若いころはうまくしゃべろうとか、気の利いたことを話そうとか、必死にテクニックに走っていました。でもね、今やっと話に必要なのは、そんなことではなかった、ということに気がついたんです」
 「よく会話は言葉のキャッチボールなんて言うでしょ? キャッチって日本語に訳すと、受け取る、ということですよね。だから人と話す時には勝手に投げるのではなく、相手が受け取ることができるボールを投げないとダメ。自分がカーブを投げたいとか、俺はこんな速い球も投げられるんだ、なんて、どんなに素晴らしい球を投げても、相手が受け取ってくれないと意味がない」
 「分かりやすい言葉で、分かりやすく話すことが一番大切なんです。そのためには、自分の足で歩いて、自分の手で触って、自分でにおいをかいで自分の身体で体験するしかない。体験を通して知ることは、人格を磨いていくことにもつながります。世の中いろんな情報があふれていますけど、自分で体感してほしいと思います。テクニックだのアクセントだの話し方だの、関係ないんです」
 プアイングリッシュでもいいじゃないか。少々、変なアクセントがあって、敬語が少しばかりおかしくともいいじゃないか。良い人材だと思えるなら、その自分の感性を信じればいい。下手だろうと、何だろうと、英語を使ってコミュニケーションを取ろうとする心意気があればそれはそれでいいじゃないか。

心に響いたものを受け止める力を高めるべき

コミュニケーションに必要なものは、言葉を巧みに使うテクニックじゃない。ナレッジマネジメントの第一人者である米国のコンサルタント、ドン・コーエンも、「知識を伝える際に、理論や図、表などを駆使して立派なプレゼンテーションを行っても伝わらない。伝え手がそれを受け止める人に、何を、どうして、それを伝えたいかを、自らの経験に基づいて話すことが重要である」と常々指摘している。
 耳から聞こえたものではなく、心に響いたものを受け止める。グローバル化だの、英語の社内公用語化だの、外国人留学生の受け入れだのと言うのなら、同時に、自分たちの“受け止める力”も世界レベルに高めるべきだ。
 そういえば全日本空輸(ANA)の客室乗務員(CA)の新人だったころ、エコノミークラスで国内線から異動してきた先輩が外国人の乗客に食事のサービスをする時に、「豚肉にしますか? それともお魚にしますか?」と聞くのに、緊張のあまり、「アー・ユー・ピッグ(あなたは豚ですか)?」と言ってしまったことがあった。
 一瞬、私も周りの乗客も凍りついたのだが、その外国人の方は「ノーノー。アイム・チキン!(私は臆病ものです)」と切り返し、腕を口に持っていき、飛行機を怖がる素振りを見せた。
 その瞬間、機内に笑いが広がった。先輩CAは必死に謝っていたが、機内には穏やかな空気が流れた。
 こんなウィットに富んだことが言えること。こちらの方がグローバル時代に必要な力かもしれないけれど、プアイングリッシュも、ちょっとアクセントのある日本語も許せない日本人には、残念ながら、こんなウィット、通じるわけがないでしょうね。

耳だけに頼るから、大切なメッセージが受け取れない

そんな経験をしているだけに、やはり言葉だけに頼るコミュニケーションに違和感を覚えてしまうわけで。コミュニケーション、コミュニケーションとやたらと最近聞くけれど、伝える力よりも、実は伝え手を察する気持ち、相手のメッセージを受け取ろうとする力が、今の日本人には欠けているのかもしれない、と思ったりする。
 その人が何を伝えているかより、どんな言葉をどんなアクセントで発しているかと、耳からの情報だけに意識がいく。コミュニケーションには、五感が必要なのに、耳だけに頼るから、大切なメッセージを受け取れずにいるのではないだろうか。
 元NHKアナウンサーの山川静夫さんも、話に必要なのはテクニックではない、と語っていた。
 「私もね、若いころはうまくしゃべろうとか、気の利いたことを話そうとか、必死にテクニックに走っていました。でもね、今やっと話に必要なのは、そんなことではなかった、ということに気がついたんです」
 「よく会話は言葉のキャッチボールなんて言うでしょ? キャッチって日本語に訳すと、受け取る、ということですよね。だから人と話す時には勝手に投げるのではなく、相手が受け取ることができるボールを投げないとダメ。自分がカーブを投げたいとか、俺はこんな速い球も投げられるんだ、なんて、どんなに素晴らしい球を投げても、相手が受け取ってくれないと意味がない」
 「分かりやすい言葉で、分かりやすく話すことが一番大切なんです。そのためには、自分の足で歩いて、自分の手で触って、自分でにおいをかいで自分の身体で体験するしかない。体験を通して知ることは、人格を磨いていくことにもつながります。世の中いろんな情報があふれていますけど、自分で体感してほしいと思います。テクニックだのアクセントだの話し方だの、関係ないんです」
 プアイングリッシュでもいいじゃないか。少々、変なアクセントがあって、敬語が少しばかりおかしくともいいじゃないか。良い人材だと思えるなら、その自分の感性を信じればいい。下手だろうと、何だろうと、英語を使ってコミュニケーションを取ろうとする心意気があればそれはそれでいいじゃないか。

心に響いたものを受け止める力を高めるべき

コミュニケーションに必要なものは、言葉を巧みに使うテクニックじゃない。ナレッジマネジメントの第一人者である米国のコンサルタント、ドン・コーエンも、「知識を伝える際に、理論や図、表などを駆使して立派なプレゼンテーションを行っても伝わらない。伝え手がそれを受け止める人に、何を、どうして、それを伝えたいかを、自らの経験に基づいて話すことが重要である」と常々指摘している。
 耳から聞こえたものではなく、心に響いたものを受け止める。グローバル化だの、英語の社内公用語化だの、外国人留学生の受け入れだのと言うのなら、同時に、自分たちの“受け止める力”も世界レベルに高めるべきだ。
 そういえば全日本空輸(ANA)の客室乗務員(CA)の新人だったころ、エコノミークラスで国内線から異動してきた先輩が外国人の乗客に食事のサービスをする時に、「豚肉にしますか? それともお魚にしますか?」と聞くのに、緊張のあまり、「アー・ユー・ピッグ(あなたは豚ですか)?」と言ってしまったことがあった。
 一瞬、私も周りの乗客も凍りついたのだが、その外国人の方は「ノーノー。アイム・チキン!(私は臆病ものです)」と切り返し、腕を口に持っていき、飛行機を怖がる素振りを見せた。
 その瞬間、機内に笑いが広がった。先輩CAは必死に謝っていたが、機内には穏やかな空気が流れた。
 こんなウィットに富んだことが言えること。こちらの方がグローバル時代に必要な力かもしれないけれど、プアイングリッシュも、ちょっとアクセントのある日本語も許せない日本人には、残念ながら、こんなウィット、通じるわけがないでしょうね。

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