自国の文化を愛せる人が国際社会で通用する

自国を愛する人こそグローバルエリートである

世界を舞台に、グローバルに様々な人々と共にビジネスをする、ビジネスマンであれば世界に通用する国際人になる必要があると考えると思いますが、国際人になって世界の人々から話すに値するなと思われるには自国の文化の理解と愛が必要だと上司に教わりました
外国語を習得する必要がありますが、決して外国かぶれのアホになってはいけないと

どんなに英語が流ちょうに話せようとも、外国の人は日本人であれば日本人として接してくる。欧米のインテリな人たちは、明治時代や江戸時代の話とか、天皇制の話とかを、「日本人であれば当然知っていること」として聞いてくることも少なくない。
 そんな時、ちゃんと“日本人”として話せて、初めて受け入れてもらえる。どんなに英語が話せても、相手は日本人としか見ていないわけで、英語が話せる前に、日本語がちゃんと話せなきゃ、ちゃんと理解できなきゃ、ダメ。そういうことを子供ながらに、アメリカで暮らしている時に感じ取っていた。だから、日本語が理解できないことにショックを受け、自分が何者か分からなくなってしまったのだ。
 妙な言い回しではあるけれど、やっぱり私は、日本人だったし、日本人でいたかったのだろう。
 前にもお話ししたことがあるかもしれないけれど、以前、日本のワザを武器に、世界で活躍する企業を訪問するというテレビ番組を、一年ほどやらせてもらったことがある。それらの企業の何人かのトップの方は英語も万能で、国際経験も豊富だったが、英語なんかできなくとも、海外企業と対等に渡り合っている方がほとんどだった。
 特に印象的だったのは、東京都三鷹市にある三鷹光器という会社の創業者である中村義一さんだ。中村さんのお話には、「海外でも認められる人になるためのヒント」が、たくさんあったように記憶している。
 三鷹光器は中村さんが1966年に創業した40人ほどの小さな町工場で、81年には名だたる大企業に競り勝ち、米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭載される特殊カメラを納品することに成功した。86年には、ドイツの光学機器メーカーのライカからの申し出を受けて、同社と業務提携をしている。
 

本当に求められるのは「仕事をしてみたい」と思う人

世界で通じる人、すなわちグローバルな人材というのは、「この人と仕事をしてみたい!」と、言葉の壁なんか関係なく思える人材なんじゃないだろうか。
 自分が売る商品や自分が関わる仕事に興味を持ち、「もっとこうならないかなぁ」といくつになっても学ぶ努力を惜しまないこと。つまり、「仕事がちゃんとできる」ことが大前提で、そのうえで「英語も話せた方が便利」なだけ。
 もっと乱暴な言い方をすれば、グローバルな人材であることと、英語ができることとは全く関係ない。乱暴ついで、もうひと言述べさせてもらえば、
・英語が話せなきゃ仕事にならない
・ライバルは国内だけでなく、中国、韓国など世界中にいると思え!
・日本でしか通用しないような人は、もう要らない
 とは、単にそういう使い勝手のいい人を、“うちの会社”が求めているだけであって、世界のマーケットが求めているわけじゃない。
 繰り返すが、もちろん英語は話せた方がいいに決まっている。そのことを否定する気はさらさらない。でも、その前に、好奇心を刺激するような製品と、「もっと自分の仕事を突き詰めたい」と思えるような職場と人材を作ることの方が先なんじゃないだろうか。
 その土台さえしっかり見失わなければ、マーケットが世界に広がっても勝てる会社になる。中村さんはそう言いたかったのだと思っている。
 ちなみに、国語で落第点を取っていた私が、日本語のコラムを書き、日本語の本を書いていることに、不信感を抱いている方もいるかもしれないので、付け加えておくと、私はある時から爆発的に本を読むようになった。いや、読めるようになったのだ。きっかけはお天気の世界に入ったこと。
 「雨が降るって分かると、おニューの靴を濡らさなくて済むじゃん!」という、極めて実践的かつ単純な天気予報の効用を経験し、「なぜ、風が吹くのか? なぜ、雨が降るのか?」を知りたくなった。
 現代国語だけでなく、中学校の教科書に出ていることすら理解できていなかったのだ。だから、徹底的に小学生向けの図鑑から読み漁った。お天気の基礎が理解できるようになったら、難しい気象学の本も読めるようになった。そして、いろいろ知ると、もっといろんなことが知りたくなって、それをみんなに伝えたくなった。
 だから必死に書いている。360人中359位という国語力で書いている。毎回稚拙な文章でホントに申し訳ない。ホントにごめんなさい。そんな書き手ではありますが、お付き合いいただきまして、ホントにありがとうございますです。
 
 
 
 

自国を愛する人こそグローバルエリートである

まず「グローバルエリート」(国境なき世界を舞台に、多国籍な人々と共に活躍する精鋭とでも言おうか)、ビジネスマンであれば「グローバルビジネスエリート」になる、と言うことになると、「日本人」であることをやめることだ、と誤解をする人がいまだにいる。最初に申し上げておくが、そのようなことは、まずあり得ない。真のグローバルエリートになるためには、まず、自国を愛する良い日本人であることが重要だからだ。
 どこにも属さない根なし草では、そもそも世界では相手にされない。まずは日本人としての土台をしっかりと築いた上で、グローバルエリートになる為の頭の柔軟性と幅の広さを身につけ、国際社会の中でどこでも個人として通用し、受け入れられる大事なプリンシプル(原則)や好まれるスタイルを持つことが必要なのである。とはいえ、そのようなことは言うは易し、行うは難しで具体的なケースを聞かねばイメージもわかないことだろう。この連載では、グローバルビジネスエリートに必要な「掟」について、筆者の現在まで45年以上に及ぶ体験を基に書いていく所存である。
 1回目である今回はまず、優れた日本人の「グローバルエリート」についてご紹介したいと、いろいろと記憶をたどってみた。そこで私が若い頃に可愛がってもらい、そして最も影響を受けた、残念ながらもうこの世にはおられないが、本当にすごかった何人かの国際的日本人の思い出をまずはご紹介したい。この人たちの共通点は、日本人であることを心底誇りにしており、かつ誠の国際人だったという点だ。戦後の平等教育の悪弊に染まっていなかったからか、「何が何でも平和平等」というよりも、先ず「何が公正か」ということを重んじる価値観を持っておられた。

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