日経ビジネスの記事の著者:林 則行さんの新着記事 私たちは正確な英語を話すことに神経質になり過ぎていないでしょうか。ふだん、日本語では結構適当に話しています。それに気づけば、英語だってそこまで生真面目にやらなくてもいいことが分かります。これが、簡単に英語を通じやすくするコツです。


Talking
Talking (Photo credit: JPott)












私が英語学習をするうえで、大いに参考にした日経ビジネスの記事の著者:林 則行さんの新着記事です。


私自身、日常生活の中でかなり英語を使う機会が増えましたが、
いまだに完璧な英語を話さなくはいけないという気持ちがどこかに脅迫観念的に
残っているような(正しい英語を話すように努力して意識していますが)
とくに冠詞を使い方が合っているのかな~と思います。




Cited from : URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110329/219210/?author

日経ビジネスオンラインより引用

英米人は「あれ」をうまく使って話している

間違っても言い直さないのが「通じる」コツ

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原則として日本語の会話で許されるゆらぎは英語の会話でも許されると思って大丈夫です。ぼくは、「自分は英語が下手だから、正確に話さないと通じない」と決めてかかっていました。その結果、間違った箇所に赤ペンの訂正が入った英作文のように、何度も言い直す話し方をしていました。赤ペン英作文は一見しただけでは何が書いてあるか分かりません。同様に、直し直しの英語も、聞いている人には分かりづらいものなのです。
 自動車のハンドルにあそびが必要なように、会話上ゆらぎが必要なのです。皆さんもゆらぎ表現を自分自身に許せるようになれば、格段に上達できます。「英語を学ぶ」という気持ちが強いうちは几帳面な英語から抜け出すことはできません。「英語は相手と通じ合う手段だ」と割り切ることが肝要です。

「あれ」は便利な頻出単語

夫:「スーパーであれを売っていたよ」
妻:「あれって何?」
夫:「何て言ったっけ?大好物のあれだよ」
 どこにでもよくある会話です。注目してほしいのは「あれ」です。夫はスーパーで柿を見つけました。家に帰ってその話をしようと思いましたが、「柿」という言葉がなぜか出てこない。度忘れしてしまいました。それで、とっさに「あれ」と言ったわけです。
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商品の詳細説明

これまでなぜ、日本人は英語が話せるようにならなかったのか?それは、教師や参考書の執筆者が、全員「英語好き」だったからだ。英語が嫌いなのに、コツコツ型の勉強を続けていては続くはずがないし、うまくならない。「嫌になる勉強はしない」「実地で覚える」この2つのポイントを守って続けていけば、細切れの時間を使った勉強だけで、最低限ネイティブと意思疎通ができ、ビジネスの現場でも立派に英語で仕事がこなせるようになる。著者は、英語が大の苦手、24歳からの勉強でコロンビア大学院留学、MBA取得。アブダビ、ニューヨークなど主に海外で投資家、ファンドマネジャーなどとして活躍してきた「筋金入りの英語嫌い」。思い込みで話せなくなっている日本人の英語学習の発想を転換すれば、誰でも必ずしゃべれるようになる!--「日経ビジネスオンライン」での人気連載に加筆修正。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
これまで軽視されてきた英語学習のカギ、それはコミュニケーション力。相手に伝える力を磨けば、使える英語=銅メダル英語はすぐに身につく。「英単語だけのスピーキング」「聞取れたフリで乗り切る」「発音の練習は一切しない」など、英語の専門家が絶対に書かない上達のノウハウを公開する。従来の英語学習をガラリと覆す実践の書。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 「銅メダル英語」でどんどん話せる/第2章 スイスイ上達できるのはこの勉強法だ/第3章 大事なところだけに集中する/第4章 発音とリスニングは勉強するな/第5章 ビジネス英語は交渉術だ/第6章 銀メダル、金メダルをめざす人のために/第7章 コミュニケーション力を磨くと心が通う
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
林則行(ハヤシノリユキ)
世界最大の政府系ファンド・アブダビ投資庁の元日本株式運用部長。欧米の金融機関でもアナリスト、ファンドマネージャーを歴任した投資のプロ。米国公認会計士。英語は現在金メダルレベル。英語名人松本道弘の弟子。高校時代に株式投資にはまり、本場ウォール街で投資を極めようと決意したが、まるで英語が話せなかった。カタコトでもどんどん通じさせるワザを生み出したことが転機となり、コロンビア大学MBAにギリギリ合格、米国で就職した投資会社では、社内最低の英語力ながら、ネイティブの英文やプレゼンテーションの指導をするまでになった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




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