白洲次郎らから学んだ“グローバルエリート”に必要な資質

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ja: サンフランシスコ講和会議へ向かう機上の吉田茂 (右)と白洲次郎。 en: Japanese Prime Minister Shigeru Yoshida (1878–1967, in office 1946–47 and 1948–54) en route to San Francisco Peace Conference, with his aide Jirō Shirasu at left. (Photo credit: Wikipedia)


白洲次郎は憧れの存在でした。
彼に関する本を読み漁り、町田にある白洲次郎の家を見に行った程です。

















Cited from 日経ビジネスオンライン
URL : http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130911/253272/?P=1

白洲次郎らから学んだ“グローバルエリート”に必要な資質

筆者は現在75歳と高齢だが、いまだにビジネスの世界に携わる、現役の老人である。人生のうち45年を数多くの多国籍企業に勤め、あるいは関与しながら過ごし、まさに人種のるつぼの国際社会で生きてきた。その間、まさに「グローバルエリート」とでも言えるような様々な国の優秀な人々と、まさに丁々発止で一緒に仕事をしてきた。そのため彼らがどのように考えて生きているのか、何をして彼らをグローバルで通用するビジネスエリートたらしめているのかについては、痛いほど理解している。
 一方で現在、日本企業の国際化意欲が益々高まり、人材の「グローバル化」の必要性が叫ばれている。筆者は75歳の老人ではあるが、現役を引退する前に、45年の間に蓄積したグローバル社会において必要な原理原則や体験を日経ビジネスオンラインの読者にお伝えできればと思い筆を執ることにした。これから世界のビジネスリーダーになる方々に、少しでもお役に立てれば幸せだ。

とことんカッコいい爺さんだった白洲次郎

 まず最初にご紹介したいのが、白洲次郎さんである。とにかく心身共に、本当にカッコいい爺さんだった。あらゆることに於いて「本物」、「本当のこと」にのみ興味を示し、本音で思ったことしか言わない人だった。さりげないのにとことんお洒落で、例えば、冬のコートには、普通は外に見せたい立派な毛皮をコートの裏地として付いていたのには目を見張った。
 白洲さんは、次の世代にあたる我々の憧れだった。私は白洲さんが晩年になってからのお見知りおきになる機会があり、可愛がって頂く幸運に恵まれた。もっと早くからそういう機会を得られていればどんなによかったか、と悔しく思ったものだ。
私が若くして友人の仲人をして、紙を読まずにスピーチを簡潔に披露したところ(長いスピーチは特に国際社会では嫌われるのです!)、その披露宴にいらしていた白洲さんがあとからツカツカと歩み寄られ、“おまえ、なかなか良かったぞ”と声をかけて下さったのが最初の出会いだった。白洲さんに褒められるなどというのは極めて異例のことだったので、皆からお祝いを言われたほどだった。

物事の本質を重んじ、人の異論を聞くのが好き

 白洲さんはとにかく“プリンシプル”を大事にし、人や物事を見てくれだけでは判断せず、自分の行動に一切の言い訳もしない、物事の本質と基本的ルールを大事にしている方だった。だから、どんなにえらい人々でも、プリンシプルのはっきりしない人間のことはまず相手にしなかった。すぐ安きに流れて何にでも賛成する人間が嫌いな一方で、人の異論を聞くのが好きだった。
 また、余計なきれいごとも言わない人だった。あるパーティでの出来事である。私が白洲さんの隣にいたところ、芸者らしき女性がにじりよってきて白洲さんに“弟が死にましたのよ”と悲しそうに訴えた。すると彼が言ったのは、“誰でも死ぬんだ”と、その一言だけだったのである。
 この様子には私もちょっと驚いたが、これほど現実的で、ある意味では気持ちのこもった一言はないと思った。ちなみに、白洲さんの現実的な教えの一つに、夫婦円満の秘訣はなるべく一緒にいないこと、というものもある。うまくいっているという形式を見せる為にいつも一緒にいるのではなく、夫婦間である程度自由がある方が自然でうまくいくという考えを持っていたのだ。蓋し至言であると思う。
 白洲さんは若い頃、英国の名門ケンブリッジ大学に留学するなど長く英国にいらしたこともあり、英語は日本語より上手かったと思う。その国際感覚は、日本と世界を常に一体として見ていたから、判断の軸も世界の中の日本であり、世界の中の自分であった。スケールが違った。
 生涯の一番の親友も英国人(ストラッドフォード伯)だったが、一方そのような環境にありながら、白洲さんほど日本人たることを誇りにしていた人はいなかったのではないかと、筆者は思う。吉田首相の右腕として敗戦後のGHQと折衛、日本国憲法作成に大活躍されたことは有名だが、占領下で日本人が占領政府にペコペコしている時、GHQより「従順ならざる唯一人の日本人」と言われたことはテレビドラマなどでも描写され、よく知られているエピソードだ。
 GHQの高官が白洲さんの素晴らしい英語に心底驚嘆し、それを褒め称えた時、白洲さんが「貴官ももう少し勉強すれば本当の英語(アメリカ英語でない)が話せるようになりますよ」と言い返したパンチとユーモアについては良く知られているが、こうした振る舞いも誠に白洲さんらしいのである。

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