「英語はできるけれど仕事ができない人」にならないために 第3回 海外で通用するコミュニケーション

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日経ビジネスのこの連載は、本当に勉強になります
















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「英語はできるけれど仕事ができない人」にならないために

第3回 海外で通用するコミュニケーション


 日本人にとって、グローバル社会で誤解がなく効率の良いコミュニケーションをすることは容易ではない。なぜなら、まず第1に言葉の問題がある。第2に、異文化間では意志や気持ちの伝え方が非常に違う場合が多く、英語がうまくなったとしても、“直訳”ベースでは意図が正確に伝わらない。すなわち、多国籍な環境での共通原則や世界に通用する基本的マナー、そして曖昧性が一番嫌われることをよく知っていないと、正しいコミュニケーションはできないということだ。グローバルエリートともなれば、この両方に精通していなければならない。まずは言葉の問題からいこう。
 グローバル、マルチナショナルの言葉と言えば、やはり何と言っても英語だ。ますます垣根のないフラットな世界になっていく中で、そして、ますます個人個人が結びついていく世界の中で、英語はもはや必須であり、不可欠だ。残念ながら、世界中の先進国で、英語の浸透が最も遅れているのが日本人だ。読み書きはまだしも、聞く、話す、を最も苦手としている。
 西欧ではもちろん英語が共通語だが、アジアでも1度は西欧の植民地になったところが多いこともあり、皆英語をよく話すし、英語が共通語となっている。中国や韓国でも国として英語に力を入れており、聞く、話す、のレベルは日本よりずっと高い。“世界語”を話せないという言い訳は、これからはもうできないだろう。
しかし英語がグローバルエリートにとって不可欠とは言うものの、英語そのものがコミュニケーションの目的ではない。英語ができるだけが取り柄のような人たちも過去には多かったが、国際力がなければ目的は達せない。ここで言う国際力とは、国際社会で個人として通用するという力だ。

大事なのは、英語力よりも人としての魅力

 具体的には言葉だけでなく、異文化の人たちとも理解し合える、しかも世界共通の基本原則をしっかり身につけているということである。要は、個人として受け入れられる力を持ち合わせていないと英語だけが独り歩きするということだ。大企業の海外担当者で英語がうまく、始終海外出張に出ている人より、時として中小企業のドメスティックなオヤジで英語能力が低くても、通訳を使って異文化の相手ともっと心の通ったコミュニケーションをし、合弁プロジェクトなど、ずっとより上手にこなしている人がいる。こういう人たちを間近に見るにつけ、コミュニケーションの何たるかが感ぜられるのである。
コミュニケーションとは伝える力、と考えた場合、グローバル社会の中で、ポジティブで愉快な話であろうがネガティブで誠に面白くない話であろうが、あの人の話なら聞こうという、その人に魅力があるかどうかが最終的にかなりのキーポイントのように、筆者は思う。いくら英語がうまくても、どうもあいつはあまり好きではない、あいつとはあまり話したくない、と言うように思われていたのでは、せっかくの伝えたいことも活きない。



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